「三島由紀夫、石原慎太郎への感謝の書簡公開:文壇への期待と友情の証」

admin2025-02-24  15

 著名な作家三島由紀夫(1925~1970)が、石原慎太郎(1932~2022)に宛てた書簡が新たに発見され、文学界での注目を集めている。これらの書簡には、三島が石原の才能に期待を寄せていた様子が鮮やかに描写されており、三島の全集には収められていなかったため、発見された書簡はすべて新たな資料と見なされている。

 1965年に書かれた書簡では、三島は石原の作品「星と舵」を高く評価し、「海の詩情をもつとも打たれました」と称賛した。彼はこの作品を「日本近代文学にめずらしいさわやかな海洋文学」と位置付け、終始一貫して楽しんで読んだと述べている。また、1967年の書簡では、文壇の状況に対する不満を示しつつ、石原に対して「卑怯者ばかりの文壇で、貴兄にだけは望みをかけている」と期待を寄せていた。

 さらに、三島は1972年に海外の出版社から刊行予定の日本文学アンソロジーに、石原の短編「待伏せ」を収録するための相談も行っていた。こうした交流から、二人の文学者としての関係が深かったことが伺える。

 しかし、三島が自決する70年近く前には、天皇制に関する意見の相違などから、二人の間に意見の齟齬が生じることとなる。1969年の対談では議論がかみ合わず、石原は後年のインタビューで、「真剣を持ってきた三島に斬り殺されそうになった」と振り返るほどの緊張感があったという。

 それでも、石原は生涯にわたり三島に対する深い敬意を持ち続けた。三島の死から20年以上が経過した1991年には、「三島由紀夫の日蝕」という著書を発表し、三島についての考察をまとめた。石原の遺品からはこの本に関する創作ノートが見つかり、三島の文章に熱心に傍線を引いていた様子が確認されている。石原の四男、延啓氏(58)は、父が三島の作品を再読し続け、「あの人は正確に石原慎太郎という作家を発見してくれた」と感謝の意を表していた姿を思い出し、感慨深い思いを抱いている。

 2010年に行われた中央公論新社のインタビューで、石原は三島について「三島さんが死んで日本は退屈になった」と述べ、彼の存在が日本文学においていかに重要であったかを語った。石原にとって、三島は常に懐かしい存在であったようだ。

 このたび発見された三島から石原への書簡は、今月末に出版される「三島由紀夫の日蝕 完全版」(実業之日本社)に収録される予定であり、文学ファンや研究者にとって貴重な資料となることが期待されている。